「人がいるから私がいる」。退去立会いで揉めない大家10年の感謝の話

退去の日、入居者と部屋の中を一緒に見て回る。床に小さな傷。壁紙の少しの汚れ。「これは私が付けたかもしれません」と言われる。
私は答える。「気にしないでください。長く住んでくれてありがとうございました」。敷金は、ほぼ全額そのままお返しする。これが、私の退去立会いの基本だ。
もともと、空室だらけだった
祖母から物件を引き継いだとき、空室だらけだった。何部屋も、ずっと埋まっていない部屋があった。
その状態を見て、私は強く思った。入居者さんがいるから、大家である私が成り立っている。空室だけの建物には、収入もなければ、人の気配もない。今、住んでいてくれる人がいるからこそ、この仕事が続けられている。
「人がいるから、私がいる」。この感覚は、引き継いだその日から、私の中にずっとある。
長く住んでくれている入居者は、私の事業を支えてくれている人たちだ。何年も家賃を払い続け、建物の中で日々を過ごしてくれている。その事実そのものが、ありがたい。
「大家様」ではない、というスタンス
祖母が大家をやっていた時代は、おそらく「大家様」という考え方が普通だったと思う。家を貸してもらう側は頭を下げる。家を貸す側が上位にいる。そういう時代の空気があった。
私は、そのスタンスを引き継がなかった。引き継ぐつもりもなかった。
大家と入居者は、上下の関係ではない。家を貸して、家を借りる。お互いに必要だから、契約が成り立っている。「貸してやっている」と思った瞬間に、関係は崩れる。
何かあったら、みんなで協力する。地域も仕事も、人と人で動いている。一人で全部やろうとしても回らないし、一人で偉そうにしても誰もついてこない。引き継いだときから、私はこの感覚で大家業をやってきた。
敷金はほぼ全額返す
退去のときに揉める大家は多いと聞く。敷金から原状回復費を引いて、いくら戻すか戻さないかでひと悶着ある。私の場合、ほぼそういうことにならない。
基本のスタンスは、「敷金はほぼ全額返す」。クリーニング代として少額を引かせてもらうことはあるが、それも厳密な金額計算をしない。契約書には一応クリーニング代の項目を書いてあるけれど、正直、あまり気にしていない。
退去時にいちばん大事なのは、いくら引くかという計算ではない。長く住んでくれた人に、「ありがとうございました」と伝えることだ。
細かい数字を詰めて、最後に揉めて終わるくらいなら、敷金をほぼ全額お返しして気持ちよく出てもらう方がいい。これは経営判断というより、私が大家業をやる上での基本姿勢だ。

1番長い人で、20年選手
私の物件には、長く住んでくれている人が多い。1番長い方で、20年選手だ。引き継ぐ前から住んでいる方も含めると、本当に長い。
なぜ長く住んでくれているのか。正直、ちゃんと分析したことがない。本当はちゃんと考えた方がいいのだろうけれど、感覚レベルでいくつか思い当たることはある。
一つは、立地。スーパーが近い。日々の買い物に困らない。これは生活する上で大きい。
もう一つは、駅から少し離れていること。徒歩15分くらい。便利すぎないからこそ、周りが静かで落ち着いた環境になっている。駅近物件にはない、別の良さがあるのだと思う。
他にもあるはずだけれど、私が把握できていない。長く住んでくれている事実の前で、私は「ありがたい」と思うばかりで、その理由を本人たちに聞いたことがない。聞くまでもなく、住み続けてくれているという事実そのものが答えなのかもしれない。
揉めるエネルギーは、別のことに使う
もちろん、入居中は色々ある。深夜の水漏れ、騒音トラブル、家賃の遅れ、思いもよらない事故。10年やってきて、本当に色々な出来事と向き合ってきた。
それでも、退去のときに揉めることは、私の場合ほとんどない。入居中のトラブルと、退去時の対応は別の話だ。住んでいる間に何があっても、最後の瞬間に「ありがとうございました」と言えるなら、それで関係は閉じる。
揉めれば、お互いにエネルギーを使う。何時間も話し合って、書類を作って、場合によっては法律相談に行く。そのエネルギーは、別のことに使った方がいい。次の入居者を迎える準備、別の部屋の修繕、地域の人との付き合い。動かさなければいけないことは、いくらでもある。
細かい数字で消耗するより、気持ちよく終わって、次に進む。これが私のやり方だ。
感謝があるから、人に優しくできる
これから大家を始める方に、一つだけ伝えたいことがある。
「入居者を選ぶ段階で関係性が決まる」とは、私は思わない。入居者選びはもちろん大切だ。書類を見て、対面で話して、保証会社の審査を通して、慎重に決める。それでも、選んだ時点で全部決まるわけではない。
大事なのは、入居が始まったあとの自分のスタンスだと思う。「貸してやっている」と思っているか、「住んでくれてありがたい」と思っているか。この差は、入居者にもどこかで伝わる。
感謝があるから、人に優しくできる。優しくできるから、関係が長く続く。長く続くから、退去のときも揉めない。私の場合は、これが順番だ。
大家業は、突き詰めれば人付き合いの仕事だ。短期で稼ぐより長く続ける。揉めるエネルギーを別のことに使う。その土台にあるのは、「人がいるから私がいる」という感覚と、そこから自然に出てくる感謝の気持ちだ。私はそう思っている。
タロウ哲学:退去立会いの感謝のスタンス
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 分類 | タロウ哲学(失敗図鑑とは逆軸、長期入居の関係づくり) |
| スタンス | 敷金はほぼ全額返す。長く住んでくれた感謝が、細かい計算より先に立つ |
| 原体験 | 引き継いだ時、空室だらけ。「人がいるから私がいる」と気づいた |
| 実績 | 1番長い方で20年選手(立地:スーパー近い、駅徒歩15分の静かな環境) |
| 教訓 | 揉めるエネルギーは別のことに。感謝があるから、人に優しくできる |
※ この記事は筆者の実体験をもとにしたものです。特定を避けるため、一部の情報を変更しています。敷金返還・原状回復費用の取り扱いは、賃貸借契約書の特約および国土交通省「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」に基づく判断が必要です。具体的な対応は、契約書の確認や弁護士・宅建士などの専門家にご相談ください。























