「最後まで、この建物にいていいですよ」。引き継ぎゼロから始めた大家業と、ある入居者の話

「タロウくんは元気?」
会うたびに、その人はそう聞いてくれた。
自分の方がずっと体調が悪いのに。歩くのもやっとなのに。いつも私のことを気にかけてくれた。
7年住んでくれた入居者さんだ。この人の話は、後でちゃんとする。
まずは、私がどうやって大家になったかを話させてほしい。大家歴10年。振り返ってみれば、最初は本当に何もわかっていなかった。
何も教えてもらっていなかった
物件は祖母から引き継いだ。
「引き継いだ」と書いたが、実際には何も教えてもらっていない。管理のやり方も、業者の連絡先も、家賃の集め方も、トラブルのときにどうすればいいかも。物件だけがポンと目の前にあった。
最初はこう思っていた。
「何もしなくてもいいのかな」
人が出ていっても、「出ていったなぁ。ほっとけば勝手に入るのかな」と本気で思っていた。笑い話に聞こえるかもしれないが、本当にそう思っていたのだ。何も知らないということは、何がわからないのかすらわからないということだ。
入居者が困っているのに、何もできなかった
転機は、入居者からの連絡だった。
「トイレが詰まった」「鍵が開かない」
そう言われても、自分には何もできなかった。業者を知らない。誰に電話すればいいかもわからない。
空室が続いても、困るのは自分だけだ。収入が減るだけ。でも、入居者が困っているのに対応できないのは違う。人が目の前で困っているのに、何もしてあげられない。それが一番こたえた。
電話で教えてくれるだけの業者
祖母の代からお願いしていた業者さんは、一応いた。
最初はその人に連絡して対応してもらっていた。でも、だんだん変わってきた。電話はつながる。でも来てくれない。
「それはこうすればいいんだよ」
電話で教えてくれるだけ。ありがたいけど、私は素人だ。電話の説明だけでは直せない。
今思えば、割に合わなかったのだろう。祖母との付き合いで続けてくれていたけど、小さな修繕をいちいち出向いてやるのは、業者さんにとっても厳しかったのかもしれない。
ホームセンターが学校だった
業者が来てくれないなら、自分でやるしかない。
トイレの詰まり、水が流れ続けるトラブル。ホームセンターに行って部品を買って、自分で対応した。最初はわけがわからなかったが、やっているうちに水回りの仕組みが少しずつわかってきた。
蛇口の構造、パッキンの交換、排水管の仕組み。誰にも教わっていない。現場で覚えた。ホームセンターが私の学校だった。
一人じゃダメだと気づいた日
自分で対応できることが増えていくのは、悪くなかった。でもある時、気づいた。
家族が病気になった。自分自身の体調も悪くなった。物件に行けない日が出てきた。
そのとき思った。「一人じゃダメだ」と。
自分が動けなくなったとき、入居者が困っても誰も対応できない。業者を知っておかなければいけない。自分の代わりに動いてくれる人を、元気なうちに見つけておかなければいけない。
ミツモアで業者を見つけた
業者の探し方すらわからなかった。知り合いに業者がいるわけでもない。人付き合いが苦手な自分には、飛び込みで業者を回ることもできない。
そんなとき見つけたのが「ミツモア」というサービスだった。依頼内容を入力すると、複数の業者から見積もりが届く。自分から営業に行かなくていい。
相場感もわからない私にとって、複数の見積もりが勝手に届くのは、それだけで勉強になった。最初の依頼は、水の詰まりからの高圧洗浄だった。
そこで出会った業者さんの中に、今でも付き合いが続いている人がいる。何か困ったことがあればこの人に聞けば大丈夫。家を1つ建てられるくらいの技術と知識を持っている人だ。あのとき勇気を出して依頼していなかったら、今も一人で全部やっていたかもしれない。
じわじわと「大家」になっていった
祖母はまだ元気だ。だから正確に言えば、物件は「完全に引き継いだ」わけではない。
最初の頃は、何をするにも祖母の許可が必要だった。工事をしたくても「高い」と言われる。3社から相見積もりを取って、できるだけ安くしているのに。自分の判断では動けなかった。
それが少しずつ変わっていった。劇的なきっかけがあったわけじゃない。年数をかけて、じわじわと。大きなことを少しずつ任せてもらえるようになって、やっと「自分が大家なんだ」と思えるようになった。
10年かかった。
大好きだった入居者さんの話
ここからが、冒頭で約束した話だ。
その方は7年くらい住んでくれていた。もともと体調が良い人ではなかったけれど、とても優しい人だった。
会うたびに「体、丈夫か?」と聞いてくれる。自分の方がずっと体調が悪いのに、いつも私のことを気にかけてくれていた。
家賃は振り込みで支払ってもらっていたが、たまに金額を間違えることがあった。そういうときに直接来てくれて、そこでお話をする。それが私とその方の接点だった。
涙が出そうになった
年齢を重ねるにつれて、体調はどんどん悪くなっていった。ヘルパーさんが来るようになり、病院との付き合いが増えた。最後はお金がなくなって、生活保護を受けるようになっていた。
そして、病院で亡くなった。
奥さんはすでに亡くなっていた。身内はいるけれど、ほとんど関係がない状態だった。
生活保護の係の人と一緒に、部屋の中に入った。現金の確認のためだ。
部屋に入った瞬間、寂しくなった。涙が出そうになって、思わず部屋から出た。
あの人がここで暮らしていた。あの人がここから「体、丈夫か?」と声をかけてくれていた。その部屋に、もうあの人はいない。
5,000円と50万円
生活保護の係の人が、部屋の中にあった現金を持っていった。5,000円くらいだったと思う。
それだけだ。
残りは全部、私が対応した。荷物の撤去を業者に依頼して、部屋の修繕もして、合わせて50万円くらいかかった。
事前に「部屋の中の荷物は全部処分していい」という書面はもらっていた。身内も引き取る気はなかった。手続き上は何も問題ない。
でも、50万円を払いながら思ったのは、お金のことじゃなかった。
この人が最後までこの建物にいてくれたこと。それがありがたかった。
「最後まで、この建物にいていいですよ」
大家業をやっていて、一番うれしいのは、入居者が「ここにいたい」と思ってくれることだ。
長く住んでくれている入居者さんたちとは、10年以上の付き合いになっている。いろんなことを話せるようになった。最後までこの建物にいたいと思ってもらえるなら、大家としてこれ以上のことはない。
だから私は、こう思っている。
「最後まで、この建物にいていいですよ」
大家としては、人が亡くなれば損失だ。事故物件になるリスクもある。部屋の片付けも修繕も、全部自分が負担する。
それでもそう思える。10年前、「何もしなくてもいいのかな」と思っていた自分が、今はそう思えるようになった。引き継ぎゼロ、業者ゼロ、知識ゼロ。でもこの仕事を続けてきたから、この気持ちにたどり着けた。

大家業は、トラブルだらけだ。うんこまみれの部屋も、深夜の水漏れも、家賃の滞納も、戦争で工事ができないことも。それでもこの仕事を続けているのは、こういう出会いがあるからだと思う。
※ この記事は筆者の実体験をもとにしたものです。特定を避けるため、一部の情報を変更しています。

















